東照宮秋季大祭
- 参列する神社庁職員の皆さま
9月17日(木曜) 午前10時 曇り 諏訪神社の末社東照宮の秋の大祭を神社庁職員の皆様のご参列を賜り行いました。
東照宮は、承応元年(1652)僧玄澄が長崎奉行黒川与兵衛、甲斐庄右衛門等の援助により現在の立山町に安禅寺を建立し、その境内内に勧請されたのがはじまりです。後の寛文13年(1673)時の長崎奉行牛込忠右衛門勝登により現在地に建立され、社殿の他に御霊舎・仁王門・鐘楼等が備わり、これ以後代々の長崎奉行を始め庶民の崇敬を集めました。幕末には勝海舟が参拝し脇差を奉納しています。(現在諏訪神社所蔵)明治元年(1867)東照宮と改め、その後社殿等が荒廃し一時諏訪神社に合祀されましたが、明治30年(1897)社殿が再建され、諏訪神社の末社となり現在に至っています。東照宮祭は年二回、4月17日は家康公の命日(享年75歳)と9月17日に行われ、家康公を始め歴代将軍の御霊を慰め、長崎の繁栄と市民の幸せをお祈りしています。
家康公は、生涯において数々の名言を残しています。このコロナ禍にあって、皆様にご紹介したい名言を見つけました。「人の人生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」要約すると、人生には制約や規則が付いて回り、将来の展望も開けないと思う時すらあります。そのような、不自由な中でも、出来ることを行い、良いことは見つかります。世の中には悲惨な状況の人もたくさんいます。コツコツと出来ることをやる。今の状況で良いことを大事にする。そして、時間が経てば必ずその傷はいやされ、振り返ればそんな時もあったなと思える時が来ると、家康公が教えています。世界中が混迷するコロナ禍において、希望を捨てずに「今、出来ることをやる」これに尽きると思います。
次回は、9月22日 秋分祭・祖霊社祭をお届けします。神主М