青木墓前祭 (あおきぼぜんさい)

初代宮司青木賢清翁の奥都城(おくつき・お墓)
祓いを受ける池田宮司
宮司の祝詞奏上

10月28日(水曜) 晴れ 午前10時 西山の椿原墓地(つばきがはらぼち)において行われました。この墓地は、諏訪神社初代宮司青木賢清翁命を始め青木家11代の宮司並びに親族が祀られ、年に一度御霊を慰めるお祭りをしています。初代宮司青木賢清は肥前松浦の一族青木豊前守永俊(あおきぶぜんのかみながとし)の子として、佐賀唐津の里に生まれ修験道を修め、両部神道を信奉し、元和元年(1615)に長崎に来崎しました。そのころ長崎は幕府の禁教令がしかれたものの、キリスト教の信者により焼き払われた神社仏閣が殆どで、賢清は憤りを覚えましたが、惟神の道を惑える信者たちに説き諭しました。そして、元和9年(1623)諏訪・森崎・住吉の祭祀権を譲り受け、幕府に諏訪神社再興を請願し許可を受け、寛永2年(1625)西山郷円山(にしやまごうまるやま・現在の松の森神社)に諏訪・森崎・住吉三社を合祀再興しました。これ以降、青木家は11代宮司家として明治7年(1874)まで続きました。現在の宮司さんは26代目となる池田宮司で今日のお祭りを御奉仕いたしました。

私たち諏訪神社の神職は、初代宮司の神社再興を成し遂げた思いを共有し、次世代に伝える使命があります。今後も氏子の皆様と共にお諏訪さんをお守していきたいと思います。

次回は、11月1日 神宮大麻・暦頒布始祭をお届けします。神主М

神宮祭 (じんぐうさい)

神宮遙拝式での祝詞奏上
斎主の玉串拝礼

10月17日(土曜) 小雨後晴れ 午前9時30分 雨天につき神宮遙拝式を儀式殿にて行い、引く続き御本殿において神宮祭が行われました。このお祭りは、伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)に合わせ、神宮を遙拝し天照大御神のご加護に感謝するお祭りです。神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に三節祭(さんせつさい)と呼ばれ、神宮のお祭りの中でも最も由緒深いお祭りです。浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀(ゆきおおみけのぎ)が行われ、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸山の幸をお供えし、明くる正午には勅使(天皇陛下のお遣い)をお迎えして奉幣の儀(ほうべいのぎ)が行われます。このお祭りは、秋の実りに感謝し皇室の弥栄、国家の隆昌、五穀の豊穣、そして、国民の平安をお祈りいたします。

当神社では、この神嘗祭の意味するお祭りとして、11月23日に新穀感謝祭(新嘗祭・にいなめさい)を行います。県内の農家の皆様が、お米・みかん・野菜・鮮魚など多くのお供えを賜り行っています。

次回は、10月28日 青木墓前祭をお届けします。神主М

特別崇敬者清祓 (湯立神事)

参進する池田宮司以下神職
祭場をお祓いする神職
宮司の祝詞奏上
巫女による湯立舞
太刀でのお祓い
釜の熱湯を手で払う神職
湯鉾(ゆぼこ)による祓い
湯笹(ゆささ)での祓い
湯笹で釜の熱湯を掻き出す神職
参列者の玉串奉奠

10月8日(金曜) 晴れ 午後2時 神社中庭において、神社役員・特別崇敬者・湯立講社員約140名のご参列を賜り行われました。大勢様につきコロナ感染防止策として、神社拝殿ではなく、あえて中庭において行ったわけです。このお祭りは、崇敬者の皆様の無病息災と開運招福を願うもので、祓いの要素を多く取り入れ、諏訪神事の荒行の一つです。参列者は先ず、大麻(おおぬさ)・塩湯(えんとう)・米・切麻(きりぬさ)によって清められ、次に巫女の湯立舞・湯鉾(ゆぼこ)・湯笹と次から次へと祓いを受けて澄み切った心身に立ち返る神事です。

本年は世界中がコロナ禍に襲われ、日常の生活が不自由なものとなりました。中でも行動の自由を奪われたことが最大のストレスとなり、経済もどん底に落ちてしまいました。しかし、止まない雨はありません。明けない夜もありません。コロナ禍の一日も早い終息と、来年の長崎くんちを氏子皆が笑顔で迎え、厳かにそして麗しく行えますように皆で祈りましょう。

次回は、10月17日(土曜) 神宮祭をお届けします。神主М

例大祭 (れいたいさい)

斎館(さいかん)前に列立する池田宮司以下神職・巫女・役員
斎館諏訪荘前に列立する献幣使以下随員
斎庭(ゆにわ)に参進する宮司以下神職
参進する献幣使以下随員
祓いを受ける役員・総代
池田宮司の祝詞奏上
神社本庁幣の献幣(じんじゃほんちょうへいのけんぺい)
献幣使の祭詞奏上
責任役員の氏子総代祈願詞奏上
長崎市総代会の祈願詞奏上

 巫女による浦安の舞

宮司以下神職の拝礼
献幣使以下随員の拝礼
責任役員の玉串奉奠

10月8日(木曜) 晴れ 午前10時 例大祭には神社本庁幣(じんじゃほんちょうへい・神社本庁よりのお供え)の献幣使として、長崎県神社庁副庁長・上五島政彦神社宮司 吉村政徳様のご参向を賜り、神社役員・年番町の皆様のご参列のもと厳粛に行われました。例大祭は、諏訪神社の祭典の中で一番重要なお祭りとされ、天皇陛下の安寧と国家の安泰更に長崎の発展と氏子の幸福をお祈りいたしました。また、氏子の代表として責任役員 村木謍介様、長崎市氏子総代会の代表として護国神社役員の坂井俊之様より神様への感謝の言葉が奏上されました。

本来であれば、この例大祭は御旅所において行われますがコロナ禍の影響を受け、諏訪神社の拝殿において行われました。昭和63年天皇陛下の御不例(ご病気のため)以来のことです。長崎くんちの奉納踊りが中止となった事例はこの他にもあり、明治21年(1888)伝染病コレラの蔓延、大正12年(1923)関東大震災の影響を受け取り止めとなりました(他にもあり)しかしその都度、先人たちは一丸となり英知を重ね地域文化の核となる長崎くんちを継続して参りました。これからは、新しい生活様式の中で、先人たちが築き上げてきた長崎くんちの風流の精神を今の時代に沿った形で創造しなければなりません。そして中今を生きる私たちは、長崎くんちを始めとする諏訪神事の伝統を後世につなげるため、氏子の皆様と手に手を携えて行かなければなりません。皆様方のご理解とご協力を切にお願いいたします。

次回は、10月8日(金曜)  午後2時 特別崇敬者清祓(湯立神事)をお届けします。神主М

大祭寿詞 (たいさいよごと)

祓いを受ける神職・巫女
大祭寿詞の祝詞を奏上する神職

10月7日(水曜) 晴れ 午前8時 大祭寿詞が職員の参列のもと行われました。このお祭りは、例年の場合10月1日から13日の大祭期間に大きなお祭りがない、3日から6日と10日から13日に行われ、神さまに朝の御神饌(おそなえもの)を供し、例大祭の予祝(よしゅく・前祝)及び後祝(ごしゅく)を致します。本年はコロナ禍において、7日と9日の二日間だけ行います。

さて、例年であれば本日7日は午前5時、くんちの始まりを告げる花火打ち上げられ、遷御祭(せんぎょさい・神さまを御本殿からお神輿にお遷しするお祭り)が行われ、午前7時踊り場において初日の奉納踊りが繰り広げられ、午後1時大波止へ向けてお下りが行われますが、痛惜に堪えません。来年の長崎くんちを氏子皆が笑顔で迎え、厳かにそして麗しく行えますよう願うばかりです。

次回は、10月8日(木曜) 例大祭をお届けします。

河降神事 (こおりしんじ)

河降神事の祭場として設えられた神池
斎庭(ゆにわ・清らかな場所)において両段再拝
池田宮司による祝詞奏上

10月3日(土曜) 晴れ 午前10時 斎庭及び神池において、河降神事が行われました。この神事は、宮司以下神職巫女が例大祭を奉仕するに当たり、禊祓い(みそぎはらい)をして精進潔斎を行う神事です。本来であれば神職は、この神事を奉仕して夕刻より宮摺の海岸において、ハチマキ・褌をしめて海につかり禊を行います。私も数十年、経験しておりますが秋の海水もとても冷たく、常に気合を入れて行っております。そしていよいよ、くんちを迎えることとなります。更に宮司以下神職巫女は、6日から8日までは参籠(さんろう・神社の斎館に寝泊まりします)して、種々の祭典を奉仕いたします。

当神社の神池には、もともとご自宅でお祀りしていた祠(ほこら)を始め、火の神・水の神の石碑がお祀りされています。これは家屋解体等によりお祀りできなくなった石碑等をお預かりして永代お祀りするようにしています。先祖から継承してきた神々ですから寂しいような気がしますが、しっかりとお守りして参ります。諸般の事情により祠や石碑等をお祀りできなくなりお困りの方には社務所までご相談ください。

次回は、10月7日(水曜) 大祭寿詞(たいさいよごと)をお届けします。

事始神事 (ことはじめしんじ)

斎庭(ゆにわ)での修祓(しゅばつ)
池田宮司の祝詞奏上
神社役員の玉串奉奠

10月1日(木曜) 晴れ 午前10時 拝殿において事始神事を神社役員・年番町の皆様のご参列のもと行われました。本来であれば、長崎くんちの無事成功と奉仕するすべての方の安全を祈願する祭典ですが、コロナ禍の影響を受けお下り・お上り・奉納踊りが取り止めとなり、その報告と例大祭を厳粛に執り行うための祭典として行われました。

今日は、祭典の流れについてわかりやすくご説明いたします。まずお祭り前に神職をはじめ、参列者は必ず「手水の儀」を行います。これは、禊(みそぎ)を簡略化したもので、手と口をすすぐことで体をお清めしたことになります。次に「修祓・しゅばつ」祓いの儀式で、斎庭(ゆにわ・清浄に場所)に移動し心を清めます。祓い言葉により祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)の霊力を賜り、大麻(おおぬさ)や塩湯(えんとう)・切麻(きりぬさ)などの祓津物(はらえつもの)により心を清め、ここで初めて心身が清浄となり、神さまのお近く(祭場)に入ることができます。祭場に入ってからがいよいよお祭りの始まりです。最初は「一拝・いっぱい」斎主(宮司)が「これから、このお祭りを慎んで執り行います」と神さまに一礼いたします。それに倣い、奉仕する神職・参列者も一礼いたします。次に「献饌・けんせん」神さまにお米・お酒・鮮魚を始め、季節の野菜や果物をお供えし召し上がっていただきます。神さまは、その土地で採れた物を好むとされ、この起源は遠く縄文時代までさかのぼります。いよいよ神さまもお供え物を召し上がりお腹も満たされました。そこで次が「祝詞奏上・のりとそうじょう」宮司さんがお祭りの趣旨と氏子さんたちの願いを申し上げます。更に神さまの御心を和めるために「神楽奉奏・かぐらほうそう」巫女さんにより神楽が舞われます。次に「玉串奉奠・たまぐしほうてん」宮司さんを始め参列者が玉串(榊の枝に御幣が付いたもの)を神前に捧げ、神さまへの感謝の心を伝えご加護を願いお参りいたします。次に「撤饌・てっせん」神職によりお供え物が下げられます。最後に「一拝」お祭り終了の一礼を宮司さんが行い、神職・参列者もこれに合わせます。そして祭場を後にし、所定の場所で「直会・なおらい」が行われます。直会はお祭りにお供えした物をいただき、神さまの御加護を賜るものです。諏訪神社では、通常神職は、御神酒と神饌米をいただき、参列者には御神酒と御紋菓(砂糖菓子)を差し上げます。また、大きなお祭りの後の直会は、ご馳走を用意して神職、参列者と共に美味しくいただき、賑々しい宴となります。以上、祭典の詳細ついてご説明いたしました。

次回は、10月3日 河降神事 (こおりしんじ)をお届けします。神主М