天長節祭 (てんちょうせつさい)

長崎里神楽の奉納
神職の直会
三方に用意されたお米と御神酒

2月23日(火曜) 晴れ 午前10時 御本殿において行われました。天長節祭は天皇陛下の御誕生日をお祝いし、聖寿(せいじゅ・陛下の御寿命がいついつまでも続くことを願う言祝ぎの言葉)の長久をお祈りするお祭りです。天長とは、天地とともに聖寿の限りなきことを言祝ぐという意味です。戦前までは、天皇誕生日は天長節と言われており、奈良時代宝亀6年(775)光仁天皇の御代より始められました。宮中では、陛下御親ら宮中三殿を御親拝になられます。新年の四方拝・紀元節・明治節とあわせて、四大節(しだいせつ)として宮中祭祀の中でも重要な祭儀です。また、天長節に対して、皇后陛下のお誕生日は地久節(ちきゅうせつ)と言われます。

今回の豆知識は、「直会」(なおらい)についてご説明いたします。直会とは、お祭りの後に神前にお供えしたお米やお酒を神職を始め参列者の皆様と共に頂くことを言います。古くから神々が召し上がった物を私たちが頂くことで、神と人とが一体となることが、直会の根本的意義とされています。「神人共食」(しんじんきょうしょく)また、簡略化されたものとして、御神酒を頂くことが一般的な儀礼となっていますが、これは御神酒がお供え物の中でも米から作られるものであり、調理せずにその場で直接頂くことができるため、象徴的に行うようになりました。

次回は、3月9日(火曜) 東日本大震災復興祈願祭をお届けします。神主М

祈年祭 (きねんさい)

池田宮司の祝詞奏上
神職の拝礼
瑞穂会常任委員の玉串奉奠

2月17日(水曜)曇り時々小雪 午前10時 拝殿において、神社役員・瑞穂会・諸産業の代表者のご参列を賜り、本年の五穀豊穣と諸産業の発展をお祈りいたしました。祈年祭は春の耕作の初めに際し、五穀豊穣をお祈りするお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願うという意味で、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。農耕民族であった日本人は、豊作を祈ることは国家の安泰・国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。そのため祈年祭は国家規模で行われ、奈良時代の延喜神名式(えんぎじんみょうしき)によると、伊勢の神宮を始め、全国2.861社の神社で行われていました。

さて、今回の豆知識は、神職が身に着ける服装について説明いたします。今日の「祈年祭」というお祭りは、大祭式で行われる三大祭の一つで、神社のお祭りの中でも大きなお祭り、重要なお祭りとして位置づけられます。当神社の三大祭は、「祈年祭」10月の「例大祭」11月の「新穀感謝祭」となります。お祭りの規模によって、宮司以下神職の服装が異なり、今日の祈年祭では「正服」を着装しています。ご覧のように正服の色が異なりますが、これは神職身分によって色が異なります。神職身分「特級」「一級」の神職は「黒色の黒袍」、「二級上」「二級」の神職は「赤色の赤袍」、「三級」神職は「紺色の緑袍」となります。袴の色・柄も身分よって異なります。また中祭式のお祭り、1月の「歳旦祭」2月「紀元節祭」などは、白色の「斎服」小祭式のお祭り、毎月の「月次祭」は「狩衣」を着装するようになっています。

次回は、2月23日(火曜)天長節祭をお届けします。神主М

Ⅴ・ファーレン長崎必勝祈願祭

祓いを受ける高田社長・監督・選手の皆様
高田社長の玉串奉奠
吉田監督・秋野主将の玉串奉奠
左から、秋野主将・吉田監督・高田社長・池田宮司・後援会宮脇会長・県サッカー協会殿村会長
関係者での記念写真                         カッパ姿のヴィヴィ君

2月14日(日曜)曇り後雨 午後2時 Ⅴ・ファーレン長崎必勝祈願祭を拝殿において行いました。Ⅴ・ファーレン長崎高田春奈社長を始め、吉田孝行監督・秋野央樹キャプテン・Ⅴ・ファーレン長崎後援会宮脇雅俊会長・長崎県サッカー協会殿村育生会長、そして選手・コーチ・スタッフが参集い、J2優勝とJ1昇格を祈願いたしました。昨年は惜しくも3位で、J1昇格を逸した口惜しさをバネに本年こそは、再びJ1昇格を決めていただき、今秋には県民と共に喜びを分かち合いたいものです。

当神社では、Ⅴ・ファーレン長崎とコラボした「祈願絵馬」を正月から頒布しており、また明日2月15日から、「夢守り」「平和守り」を新たに頒布いたします。(HPお知らせをご覧ください)チーム理念と長崎らしさをテーマに謹製いたしました。「頑張れⅤ・ファーレン」「目指せJ1」

次回は、2月17日(水曜)祈年祭をお届けします。神主М

橿原神宮・皇居遙拝式 紀元節祭

橿原神宮・皇居の遙拝詞を奏上する神職
祓いを受ける参列者
長崎日の丸会代表の玉串奉奠
長崎大学学生代表の玉串奉奠

2月11日(木曜)晴れ 午前10時 紀元節祭に先立ち、神武天皇が国の基をお定めになられた理想を尊び、即位の地である橿原神宮を遙拝し、拝殿にて紀元節祭が行われ、我が国の建国を奉祝し、皇室・国家・氏子の平安をお祈りいたしました。このお祭りには、長崎日の丸会、長崎大学の学生の皆様にご参列いただきました。

紀元節は、四大節(しだいせつ・四方節・天長節・明治節)の一つで、明治6年(1873)初代神武天皇の御即位の日を奉祝する祝日に定められましたが、終戦後、GHQの意向により昭和23年(1948)に廃止されました。その後、国民の努力により昭和41年(1966)「建国記念日」として再び国民の祝日として制定されました。

次回は、2月17日(水曜)祈年祭をお届けします。神主М

玉園稲荷神社初午祭

諏訪神社本殿右手に鎮座する玉園稲荷神社
祝詞を奏上する神職
参拝者が祈願した祈祷木(初穂料 500円)

2月3日(水曜)晴れ 午前8時 玉園稲荷神社の初午祭を行い、氏子崇敬者の諸願成就と諸産業の発展をお祈りしました。

お稲荷さんと2月の「初午」との関係は、稲荷神社の総本社として知られる伏見稲荷神社の御祭神「宇迦御霊大神」(うかのみたまのおおかみ)が、伊奈利山(いなりやま)に降りた日が、和同4年(711)2月11日が初午の日であったことから、2月最初の午の日に祭礼が行われるようになりました。また、お稲荷さんのお使いとされる狐は、油揚げが好物であるため、初午の日には「いなり寿司」をお供えする風習もあるそうです。

2月11日(木曜)橿原神宮遙拝式・紀元節祭をお届けします。神主М

節分祭・火焼神事(ほやきしんじ)

祓いを受ける責任役員の皆様
門祓い・豆打ち祓い
責任役員の玉串奉奠
長崎鯨食文化を守る会会長 川島明子様の玉串奉奠
献上された鯨料理の三段重
献上された鯨カツと鯨の煮しめ料理
火焼神事 宮司の祝詞奏上
古札への点火

2月2日(火曜)晴れ 午後4時 拝殿にて節分祭、踊馬場において火焼神事が責任役員・長崎市消防団第6分団のご参列を賜り行われました。節分祭は、神前で清めた豆をまくことによって邪気を払い、春を迎えることを寿ぎ、更に一年間の無病息災をお祈りいたしました。火焼神事は、年末年始に納められた古いおふだ・御守り・正月飾りを焼納し、天高く昇る炎で御神霊をお送りする神事で、焼納奉仕を第6分団の皆様にご奉仕していただき、誠に有難く心より感謝申し上げます。

節分祭には、長崎鯨食文化を守る会様により鯨料理が神さまに献上されました。昨年は、長崎の郷土料理「鯨汁」を神さまに献上し、参拝者先着千名の方に食べていただきましたが、コロナ禍により豆撒き行事が中止となり、鯨汁の振る舞い行事の開催が叶わず残念でしたが、来年はまた再開していただきたいと思います。節分に鯨料理を食すのは、捕鯨国、日本の文化で節分に鯨を食べると「大きな幸せをつかむ」とか「大きく元気な子に成長する」など先人たちは願いを込めて鯨料理を食していたとされます。

恒例の年男・年女による豆まき行事は、昭和30年から始まり今年が67回目でしたが、新型コロナウイルス感染防止のため残念ながら初めての中止となり、豆まき奉仕者各位を始め、氏子の皆様には心よりお詫び申し上げます。

さて、皆さんもお気づきだと思いますが、今年の節分が2月3日ではなく、2日なのはなぜでしょうか。私も戸惑いましたが、調べてみると次のように解説されています。節分は「季節の分かれ目」であり、季節が変わる前日のことを指していて、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」があたります。現在の節分は、豆まきや恵方巻を食べる日「立春」の前日を指します。昔は冬から春になるのを一年の始まりと考えており、今の「大晦日」のように「明日から新しい年」と捉えていて、今年は立春が2月3日なので、2日が節分となるのです。そして立春は、年によって日にちが変わることがあるので、それに伴い節分の日も変動します。立春を始め、立夏・立秋・立冬など季節の節目がありますが、これは一年を24分割した「二十四節季」によって定めら、この「二十四節季」は、地球と太陽の位置関係によって決定されています。そして、過去2月2日が節分だったのが、明治30年(1897)で、なんと124年ぶり。また、昭和59年(1984)が2月4日、昭和60年(1985)から令和2年(2020)が2月3日となっていて、4年後の令和7年(2025)にまた、2月2日となる予定です。この決定は、日本では国立天文台の観測により決定されるそうです。

次回は、2月3日(水曜)玉園稲荷神社初午祭をお届けします。