神宮祭 (じんぐうさい)

神宮遙拝式での祝詞奏上
斎主の玉串拝礼

10月17日(土曜) 小雨後晴れ 午前9時30分 雨天につき神宮遙拝式を儀式殿にて行い、引く続き御本殿において神宮祭が行われました。このお祭りは、伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)に合わせ、神宮を遙拝し天照大御神のご加護に感謝するお祭りです。神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に三節祭(さんせつさい)と呼ばれ、神宮のお祭りの中でも最も由緒深いお祭りです。浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀(ゆきおおみけのぎ)が行われ、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸山の幸をお供えし、明くる正午には勅使(天皇陛下のお遣い)をお迎えして奉幣の儀(ほうべいのぎ)が行われます。このお祭りは、秋の実りに感謝し皇室の弥栄、国家の隆昌、五穀の豊穣、そして、国民の平安をお祈りいたします。

当神社では、この神嘗祭の意味するお祭りとして、11月23日に新穀感謝祭(新嘗祭・にいなめさい)を行います。県内の農家の皆様が、お米・みかん・野菜・鮮魚など多くのお供えを賜り行っています。

次回は、10月28日 青木墓前祭をお届けします。神主М

特別崇敬者清祓 (湯立神事)

参進する池田宮司以下神職
祭場をお祓いする神職
宮司の祝詞奏上
巫女による湯立舞
太刀でのお祓い
釜の熱湯を手で払う神職
湯鉾(ゆぼこ)による祓い
湯笹(ゆささ)での祓い
湯笹で釜の熱湯を掻き出す神職
参列者の玉串奉奠

10月8日(金曜) 晴れ 午後2時 神社中庭において、神社役員・特別崇敬者・湯立講社員約140名のご参列を賜り行われました。大勢様につきコロナ感染防止策として、神社拝殿ではなく、あえて中庭において行ったわけです。このお祭りは、崇敬者の皆様の無病息災と開運招福を願うもので、祓いの要素を多く取り入れ、諏訪神事の荒行の一つです。参列者は先ず、大麻(おおぬさ)・塩湯(えんとう)・米・切麻(きりぬさ)によって清められ、次に巫女の湯立舞・湯鉾(ゆぼこ)・湯笹と次から次へと祓いを受けて澄み切った心身に立ち返る神事です。

本年は世界中がコロナ禍に襲われ、日常の生活が不自由なものとなりました。中でも行動の自由を奪われたことが最大のストレスとなり、経済もどん底に落ちてしまいました。しかし、止まない雨はありません。明けない夜もありません。コロナ禍の一日も早い終息と、来年の長崎くんちを氏子皆が笑顔で迎え、厳かにそして麗しく行えますように皆で祈りましょう。

次回は、10月17日(土曜) 神宮祭をお届けします。神主М

例大祭 (れいたいさい)

斎館(さいかん)前に列立する池田宮司以下神職・巫女・役員
斎館諏訪荘前に列立する献幣使以下随員
斎庭(ゆにわ)に参進する宮司以下神職
参進する献幣使以下随員
祓いを受ける役員・総代
池田宮司の祝詞奏上
神社本庁幣の献幣(じんじゃほんちょうへいのけんぺい)
献幣使の祭詞奏上
責任役員の氏子総代祈願詞奏上
長崎市総代会の祈願詞奏上

 巫女による浦安の舞

宮司以下神職の拝礼
献幣使以下随員の拝礼
責任役員の玉串奉奠

10月8日(木曜) 晴れ 午前10時 例大祭には神社本庁幣(じんじゃほんちょうへい・神社本庁よりのお供え)の献幣使として、長崎県神社庁副庁長・上五島政彦神社宮司 吉村政徳様のご参向を賜り、神社役員・年番町の皆様のご参列のもと厳粛に行われました。例大祭は、諏訪神社の祭典の中で一番重要なお祭りとされ、天皇陛下の安寧と国家の安泰更に長崎の発展と氏子の幸福をお祈りいたしました。また、氏子の代表として責任役員 村木謍介様、長崎市氏子総代会の代表として護国神社役員の坂井俊之様より神様への感謝の言葉が奏上されました。

本来であれば、この例大祭は御旅所において行われますがコロナ禍の影響を受け、諏訪神社の拝殿において行われました。昭和63年天皇陛下の御不例(ご病気のため)以来のことです。長崎くんちの奉納踊りが中止となった事例はこの他にもあり、明治21年(1888)伝染病コレラの蔓延、大正12年(1923)関東大震災の影響を受け取り止めとなりました(他にもあり)しかしその都度、先人たちは一丸となり英知を重ね地域文化の核となる長崎くんちを継続して参りました。これからは、新しい生活様式の中で、先人たちが築き上げてきた長崎くんちの風流の精神を今の時代に沿った形で創造しなければなりません。そして中今を生きる私たちは、長崎くんちを始めとする諏訪神事の伝統を後世につなげるため、氏子の皆様と手に手を携えて行かなければなりません。皆様方のご理解とご協力を切にお願いいたします。

次回は、10月8日(金曜)  午後2時 特別崇敬者清祓(湯立神事)をお届けします。神主М

大祭寿詞 (たいさいよごと)

祓いを受ける神職・巫女
大祭寿詞の祝詞を奏上する神職

10月7日(水曜) 晴れ 午前8時 大祭寿詞が職員の参列のもと行われました。このお祭りは、例年の場合10月1日から13日の大祭期間に大きなお祭りがない、3日から6日と10日から13日に行われ、神さまに朝の御神饌(おそなえもの)を供し、例大祭の予祝(よしゅく・前祝)及び後祝(ごしゅく)を致します。本年はコロナ禍において、7日と9日の二日間だけ行います。

さて、例年であれば本日7日は午前5時、くんちの始まりを告げる花火打ち上げられ、遷御祭(せんぎょさい・神さまを御本殿からお神輿にお遷しするお祭り)が行われ、午前7時踊り場において初日の奉納踊りが繰り広げられ、午後1時大波止へ向けてお下りが行われますが、痛惜に堪えません。来年の長崎くんちを氏子皆が笑顔で迎え、厳かにそして麗しく行えますよう願うばかりです。

次回は、10月8日(木曜) 例大祭をお届けします。

河降神事 (こおりしんじ)

河降神事の祭場として設えられた神池
斎庭(ゆにわ・清らかな場所)において両段再拝
池田宮司による祝詞奏上

10月3日(土曜) 晴れ 午前10時 斎庭及び神池において、河降神事が行われました。この神事は、宮司以下神職巫女が例大祭を奉仕するに当たり、禊祓い(みそぎはらい)をして精進潔斎を行う神事です。本来であれば神職は、この神事を奉仕して夕刻より宮摺の海岸において、ハチマキ・褌をしめて海につかり禊を行います。私も数十年、経験しておりますが秋の海水もとても冷たく、常に気合を入れて行っております。そしていよいよ、くんちを迎えることとなります。更に宮司以下神職巫女は、6日から8日までは参籠(さんろう・神社の斎館に寝泊まりします)して、種々の祭典を奉仕いたします。

当神社の神池には、もともとご自宅でお祀りしていた祠(ほこら)を始め、火の神・水の神の石碑がお祀りされています。これは家屋解体等によりお祀りできなくなった石碑等をお預かりして永代お祀りするようにしています。先祖から継承してきた神々ですから寂しいような気がしますが、しっかりとお守りして参ります。諸般の事情により祠や石碑等をお祀りできなくなりお困りの方には社務所までご相談ください。

次回は、10月7日(水曜) 大祭寿詞(たいさいよごと)をお届けします。

事始神事 (ことはじめしんじ)

斎庭(ゆにわ)での修祓(しゅばつ)
池田宮司の祝詞奏上
神社役員の玉串奉奠

10月1日(木曜) 晴れ 午前10時 拝殿において事始神事を神社役員・年番町の皆様のご参列のもと行われました。本来であれば、長崎くんちの無事成功と奉仕するすべての方の安全を祈願する祭典ですが、コロナ禍の影響を受けお下り・お上り・奉納踊りが取り止めとなり、その報告と例大祭を厳粛に執り行うための祭典として行われました。

今日は、祭典の流れについてわかりやすくご説明いたします。まずお祭り前に神職をはじめ、参列者は必ず「手水の儀」を行います。これは、禊(みそぎ)を簡略化したもので、手と口をすすぐことで体をお清めしたことになります。次に「修祓・しゅばつ」祓いの儀式で、斎庭(ゆにわ・清浄に場所)に移動し心を清めます。祓い言葉により祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)の霊力を賜り、大麻(おおぬさ)や塩湯(えんとう)・切麻(きりぬさ)などの祓津物(はらえつもの)により心を清め、ここで初めて心身が清浄となり、神さまのお近く(祭場)に入ることができます。祭場に入ってからがいよいよお祭りの始まりです。最初は「一拝・いっぱい」斎主(宮司)が「これから、このお祭りを慎んで執り行います」と神さまに一礼いたします。それに倣い、奉仕する神職・参列者も一礼いたします。次に「献饌・けんせん」神さまにお米・お酒・鮮魚を始め、季節の野菜や果物をお供えし召し上がっていただきます。神さまは、その土地で採れた物を好むとされ、この起源は遠く縄文時代までさかのぼります。いよいよ神さまもお供え物を召し上がりお腹も満たされました。そこで次が「祝詞奏上・のりとそうじょう」宮司さんがお祭りの趣旨と氏子さんたちの願いを申し上げます。更に神さまの御心を和めるために「神楽奉奏・かぐらほうそう」巫女さんにより神楽が舞われます。次に「玉串奉奠・たまぐしほうてん」宮司さんを始め参列者が玉串(榊の枝に御幣が付いたもの)を神前に捧げ、神さまへの感謝の心を伝えご加護を願いお参りいたします。次に「撤饌・てっせん」神職によりお供え物が下げられます。最後に「一拝」お祭り終了の一礼を宮司さんが行い、神職・参列者もこれに合わせます。そして祭場を後にし、所定の場所で「直会・なおらい」が行われます。直会はお祭りにお供えした物をいただき、神さまの御加護を賜るものです。諏訪神社では、通常神職は、御神酒と神饌米をいただき、参列者には御神酒と御紋菓(砂糖菓子)を差し上げます。また、大きなお祭りの後の直会は、ご馳走を用意して神職、参列者と共に美味しくいただき、賑々しい宴となります。以上、祭典の詳細ついてご説明いたしました。

次回は、10月3日 河降神事 (こおりしんじ)をお届けします。神主М

秋分祭・祖霊社祭 (それいしゃさい)

秋分祭に先立ち、斎庭において秋季皇霊祭遙拝式が行われました。
秋分祭 祓いを受ける神道家の皆さま
祖霊社祭 玉串を捧げお参りする神道家の皆さま

9月22日(火曜) 晴れ 午前10時 拝殿において秋分祭、祖霊社前にて祖霊社祭を神道家の皆様のご参列を賜り行いました。秋分祭は、皇居皇霊殿の秋季皇霊祭に合わせ、歴代天皇の御神霊をお慰めする祭典です。祖霊社は、もともと文化5年(1808)イギリスの軍艦、フェートン号の長崎港入港事件の責任をとって自害した、第82代長崎奉行松平図書頭康平(まつだいら・ずしょのかみ・やすひら)の御霊をまつるため、長崎総町の総意のもと文化6年(1809)に建立され、「図書明神」「康平社」と呼ばれました。その後、諏訪神社再興当時の第5代長崎奉行長谷川権六藤正の御霊及び神道家の御霊を合祀し、明治8年(1875)官許を得て「祖霊社」と改称されました。以後、諏訪神社の神職を始め神道家の御霊を合祀し、彼岸の中日、春分・秋分の日に祖霊社祭として御霊なごめ祭を行っています。

現在、諏訪神社の神道家は神道式納骨殿「諏訪の杜祖霊殿」の契約者も登録いたしますので年々数が増え、多くの参列者のもと行われますが、本年はコロナの影響を受け参列者数を減らして行いました。来年はまた多くの御参列をお待ち申し上げたいと思います。

次回は、10月1日 事始神事をお届けします。皆さんもご周知の通り、本年の長崎くんちは、コロナ禍の影響を受け、お下り・お上り及び奉納踊りが取り止めとなり、「例大祭」10月8日に関わる神事のみを行うこととなりました。例年と違った神事形態となりますが、詳細にお届けしていきます。神主М

東照宮秋季大祭

参列する神社庁職員の皆さま

9月17日(木曜) 午前10時 曇り 諏訪神社の末社東照宮の秋の大祭を神社庁職員の皆様のご参列を賜り行いました。

東照宮は、承応元年(1652)僧玄澄が長崎奉行黒川与兵衛、甲斐庄右衛門等の援助により現在の立山町に安禅寺を建立し、その境内内に勧請されたのがはじまりです。後の寛文13年(1673)時の長崎奉行牛込忠右衛門勝登により現在地に建立され、社殿の他に御霊舎・仁王門・鐘楼等が備わり、これ以後代々の長崎奉行を始め庶民の崇敬を集めました。幕末には勝海舟が参拝し脇差を奉納しています。(現在諏訪神社所蔵)明治元年(1867)東照宮と改め、その後社殿等が荒廃し一時諏訪神社に合祀されましたが、明治30年(1897)社殿が再建され、諏訪神社の末社となり現在に至っています。東照宮祭は年二回、4月17日は家康公の命日(享年75歳)と9月17日に行われ、家康公を始め歴代将軍の御霊を慰め、長崎の繁栄と市民の幸せをお祈りしています。

家康公は、生涯において数々の名言を残しています。このコロナ禍にあって、皆様にご紹介したい名言を見つけました。「人の人生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」要約すると、人生には制約や規則が付いて回り、将来の展望も開けないと思う時すらあります。そのような、不自由な中でも、出来ることを行い、良いことは見つかります。世の中には悲惨な状況の人もたくさんいます。コツコツと出来ることをやる。今の状況で良いことを大事にする。そして、時間が経てば必ずその傷はいやされ、振り返ればそんな時もあったなと思える時が来ると、家康公が教えています。世界中が混迷するコロナ禍において、希望を捨てずに「今、出来ることをやる」これに尽きると思います。

次回は、9月22日 秋分祭・祖霊社祭をお届けします。神主М

湯立祭・敬老の日祭

湯立神事で湯笹のお祓いを受ける園児たち
玉串を捧げお参りする湯立講社の皆さま

9月15日(火曜) 午前10時 晴れ 湯立祭に併せて敬老の日祭を行いました。今日のお祭りには、湯立講社の皆さまと斎庭(ゆにわ)前に諏訪幼稚園の園児たちも参列し湯立神事を見てもらいました。敬老の日祭では、お年寄りへの感謝と御長寿をお祈りいたしました。

さて敬老の日は、昭和29年(1951)9月15日を「としよりの日」としたのが始まりで、昭和41年(1966)「敬老の日」として祝日となり、平成14年(2003)祝日法の改正により第三月曜日を祝日として現在に至っています。多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日とされています。由来は飛鳥時代にさかのぼり、聖徳太子が身寄りのない病人やお年寄りの救済施設である悲田院(ひでんいん)を設立した日と伝えられ、日本では古くから高齢者に対する尊敬と感謝の気持ちを持ち、お年寄りをいたわってきました。

現代では、お年寄りの年齢が何歳からなのか判断するのが難しく、電車で席を譲ろうと思っても、素知らぬふりをされたりと苦い経験もありますが、私たちの大先輩でもあり、この豊かで平和な時代の礎を作ってくれた皆様に感謝の心をもって接していきたいと思います。

次回は、9月17日 東照宮秋季大祭をお届けします。神主М

諏訪の杜祖霊殿合同慰霊祭

祖霊殿三階の祭場
玉串を捧げお参りする神道家の皆さま

8月15日(土曜) 午前11時 晴れ 諏訪の杜祖霊殿合同慰霊祭が祖霊殿三階に祭場を設けて、契約者のご家族50名のご参列を賜り執り行われ、当神社初代宮司青木賢清翁命を始め、青木家・歴代宮司更に契約者のご先祖並びに納骨をされた方々の御霊を慰め、今を生きるご家族ご親族の日々の平安を祈願いたしました。

この祖霊殿は、平成30年8月に開所し諏訪神社の神道家はもとより、多くの皆さまにご契約をいただいております。今や核家族化が進み家族の形態や価値観が多様化し、家々の葬送儀礼やお墓の事情も一層複雑になってきました。お墓へのお参りや清掃管理をできない場合や、お墓を建てたいが適材地が見当たらないなど問題も少なくありません。このような現状に対し、神道家の方はもとより、今後神道による祖霊祭祀(それいさいし)・神葬祭(しんそうさい)を行っていく方を対象として神道式納骨殿「諏訪の杜祖霊殿」を開所いしたました。

神葬祭は神道による日本民族固有の葬送儀礼で、その歴史は古く「古事記」に記されます国生みの神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)がお隠れになられた時より始まったと伝えられます。江戸時代の伊勢神宮の神職、中西直方の「死道百種」の中に、「日の本の生れ出でにし益人は神より出でて神に入るなり」と詠まれています。祖先の神より生まれたものは、亡くなればまた、祖先の神の御許(みもと)に帰って行くことを詠まれ、明確に日本人の死生観を現しています。つまり、日本人の「御霊」(みたま)は十万億土に行くのではなく、我が家・我が郷土・我が国に留まって祖先の御霊とともに、子孫の幸せと繁栄を見守る神になるといわれます。

神道式納骨殿「諏訪の杜祖霊殿」の詳細については、諏訪神社HPをご覧になるか、社務所までお尋ねください。

次回は、9月15日 敬老の日祭をお届けします。神主М