百手神事(ももてしんじ)大注連縄奉製

中庭に随身さまを安置し祭場が整いました
矢放催神事(やばかいしんじの四方祓い)
宮司による的射の儀
祭矢を持ち神楽舞

2月13日(日曜)晴れ 午前11時 氏子の皆様のご参列をいただき行われました。江戸期に始まったこのお祭りは、正月行事として行われ、参拝者に対し「祭矢」(まつりや・破魔矢)や「百手若餅」(ももてわかもち)を投げて、厄除け、無病息災を祈っていました。今では、年末行事として行われ、大門に安置された随身(ずいじん・諏訪神社を守護する神さま)に正月に頒布する破魔矢をお供えしてご加護を戴き、厄除け、無病息災をお祈りしています。お祭り後には、祭矢はくじ引きで授与し、百手若餅は参列者全員に授与しています。当神社の随身さんは、延宝7年(1679)第23代長崎奉行牛込忠佐衛門勝登(うしごめちゅうざえもんかつなり)のご奉納です。

また、この日は大門に掲げる大注連縄(おおしめなわ)づくりが氏子有志55名により早朝から行われました。新年を清々しく迎えていただくために、毎年この時期にご奉仕いただいています。誠にありがとうございました。

大きな二本の縄を組んで参ります
午後5時完成 ありがとうございました
午後6時大門に掲げられました。氏子有志の皆様、お疲れさまでした。

次回は、12月27日 大鏡餅つきをお届けします。神主М

新穀感謝祭

池田宮司の祝詞奏上
祭員の拝礼
責任役員の拝礼
境内にお供えされたみかん
境内にお供えされた野菜
拝殿内にお供えされたお米と野菜

11月23日(月曜)晴れ 午前10時 神社役員・瑞穂会役員・企業関係者のご参列を賜り、本年収穫された初穂(お米)を始め、野菜、果物を神前にお供えし、神恩感謝のお祭りが行われました。ご奉納を賜りました、農業関係者を始め崇敬者各位には心より深く感謝申し上げます。この新穀感謝祭は、当神社の三大祭の一つで、2月の祈年祭、10月の例大祭(長崎くんち)と同じで、大祭式(最も重要な祭り)として行われます。そして、このお祭りの基は、宮中祭祀の新嘗祭(にいなめさい)です。宮中三殿のお傍にある神嘉殿(しんかでん)において行われ、天皇陛下がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)の神々にお供えし、感謝の奉告をなされます。宮中のお祭りとして始められ、そして、全国の神社でも行われるようになりました。

今日では、勤労感謝の日として国民の祝日になっていますが、この祝日には変遷があり、明治7年(1874)に新嘗祭をお祝いする祝日と定められましたが、大東亜戦争終戦後、新嘗祭を祝日とすることに反発が起こり見直され、昭和23年(1948)「勤労感謝の日」と改名し現在に至っています。

次回は、12月13日 百手神事をお届けします。神主М

秋季湯立大祭

池田宮司が無病息災と開運招福の祈願詞奏上
「朝日舞」の奉納
湯立講社員の玉串奉奠
お下がり(授与品)の御幣

11月19日(木曜) 晴れ 午前10時 湯立講社員の皆様のご参列のもと、無病息災と開運招福を願い行われました。今日のお祭りでは、特別に神職による祭祀舞「朝日舞」が奉納されました。この朝日舞は、明治天皇の御製「さしのぼる朝日のごとくさわやかに、もたまほしきはこころなりけり」「眼に見えぬ神にむかひてはぢざるは、人のこころのまことなりけり」に宮内庁式部職が曲を付けたもので、男性神職が舞うことを想定して作られたため、宮司舞とも呼ばれます。丸い輪(鏡を表す)を付けた榊を持って舞われ、神さまの御心をお慰めいたしました。さて湯立祭の詳細は、5月15日に掲載していますので省略いたします。

今回は、ご祈願やお祭りの後にいただく「授与品」についてお話しいたします。授与品とはご祈願やお祭りに参列した後に、神社側からいただくおふだ・御守りのことです。ご祈願ごと、お祭りの内容によって、お渡しするおふだ・御守りは異なります。いただいたおふだは、ご自宅の神棚にお祀りし、御守りはご自身でお持ち下さい。今日の湯立大祭では、写真の御幣が授与されました。1月・10月の湯立祭では、木製のおふだが授与されます。

神社によくあるご質問で、「他の神社のおふだをいただきましたが、お伊勢さん・お諏訪さんのおふだと一緒にお祀りしても大丈夫ですか?神さま同士喧嘩になりませんか?」という質問。答えは、「一緒にお祀りしても大丈夫です。喧嘩をすることもありません」但し、お祀りの仕方にお気をつけ下さい。三社式の神棚の場合は、中央にお伊勢さんのおふだ、向かって右にお諏訪さんのおふだ、向かって左側に崇敬神社のおふだやいただいたおふだをお祀りします。一社式の場合は、一番前にお伊勢さん、次にお諏訪さん、次に崇敬神社を重ねてお祀りして下さい。

当神社の湯立講社は、諏訪神社を崇敬する団体で随時会員募集を行っております。パンフレットもございますので、お札所にお尋ねください。次回は、11月23日 新穀感謝祭をお届けします。神主М

七五三祭

「健康で幸せになりますように」巫女さんの鈴祓い
神さまへのお参り
可愛らしいお下がり(授与品)

11月15日(日曜) 晴れ 午前10時 可愛らしい七五三詣でのお子さんたちにご参列をいただき、子供たちの無事成長と幸せをお祈りしました。

七五三の由来は諸説あるものの、天和元年(1681)11月15日に江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の長男徳松の健康を願って始まったと云われます。現在では全国の神社において盛んに行われていますが、元来は関東圏における地方の伝統行事でした。やがて関西圏でも行われるようになり全国に広まったとされます。数え年3歳は、「髪置きの儀」(髪型を変わること)として男児・女児ともに行い、数え年5歳は、「袴着」(袴を着用し始めること)として男児が行います。数え年7歳は、「帯解きの儀」(大人と同じ帯をし始めること)として女児が行います。

当神社では、七五三のお祓いをお受けいただいたお子様に、千歳飴・可愛い御守・お菓子入りのキャラクタートートバックを授与品として差し上げています。ご参拝を心よりお待ち申し上げます。

次回は、11月19日 秋季湯立大祭をお届けします。神主М

明治節祭

祝詞を奏上する神職
祭典終了後の神宮・皇居の遙拝

11月3日(火曜)  晴れ 午前10時 明治節祭が御本殿において行われました。今日は文化の日という祝日ですが、この日は昭和23年に公布施行された祝日法で文化の日と制定されるまでは、「明治節」という祝日でした。11月3日が明治天皇のご誕生日で、昭和2年から昭和22年までの20年間は、近代日本の礎を築かれ偉大な名君であられた明治天皇の御聖徳を記念する祝日でした。元々11月3日は、明治天皇が在位されていた明治期は天長節(天皇誕生日)という祝日でしたが、大正天皇が即位されてからは当然、天長節の日付が変わり、それに伴い明治天皇の崩御日である7月30日が先帝祭(明治天皇祭)という祝日になりました。しかし、そもそも天長節や先帝祭は天皇の在位に応じて変動するもので、大正天皇が崩御されると当然、7月30は祝日から除かれることとなり、明治天皇に直接関係する祝日がなくなりました。このため国民は、明治天皇の御偉業を永遠に伝えるべく、大正14年には11月3日を祝日に制定する請願運動が行われ、多くの署名が帝国議会に提出されました。これを受けて昭和2年、当時の休日法が改正され、11月3日は明治天皇の御聖徳を敬仰する「明治節」となりました。

明治神宮を始め全国の神社では、この日に明治天皇の御事績を偲び、御偉業を称えるお祭りを行っています。

次回は、11月15日 七五三祭をお届けします。神主М

神宮大麻・暦頒布始祭 (じんぐうたいま・れきはんぷはじめさい)

池田宮司の祝詞奏上
年番町・神輿守町・踊町の代表者に合わせ、総代各位の拝礼
神宮大麻・暦の頒布式

11月1日(日曜) 晴れ 午前10時 新しい伊勢神宮のおふだと暦を氏子崇敬者に頒布するために、神社役員・総代40名の参列のもと行われました。神宮大麻の歴史は古く、室町時代には大麻の頒布が広く行われるようになりました。また、伊勢参り・おかげ参りが全国に広まり、江戸時代には最盛期を迎え現在に引き継がれています。

神宮大麻は「清々しく新しい年を迎え、いい年でありますように」という願いを込めて、お正月を迎える前には全国の神社を通して頒布されています。古くから私たちの家庭では、神棚に神宮大麻と氏神様のおふだをお祀りし、神さまに日々の感謝を捧げ、家族の幸せを願ってきました。神さまを敬い、感謝を捧げることは親から子へ、子から孫へ受け継がれる「日本人の美しい心」です。神宮大麻と氏神様のおふだをお祀りすることは、その心を継承することであり、神棚は神さまと家庭を結ぶ絆となります。

諏訪神社では、長崎県神社庁の神宮大麻頒布拡大の施策に賛同して、神宮大麻を初めてお祀りするご家庭には、どんなスペースにも置ける特製神棚を無料で提供しています。ご希望の方は、神社おふだ所をお尋ねください。

次回は、11月3日 明治節祭をお届けします。神主М

青木墓前祭 (あおきぼぜんさい)

初代宮司青木賢清翁の奥都城(おくつき・お墓)
祓いを受ける池田宮司
宮司の祝詞奏上

10月28日(水曜) 晴れ 午前10時 西山の椿原墓地(つばきがはらぼち)において行われました。この墓地は、諏訪神社初代宮司青木賢清翁命を始め青木家11代の宮司並びに親族が祀られ、年に一度御霊を慰めるお祭りをしています。初代宮司青木賢清は肥前松浦の一族青木豊前守永俊(あおきぶぜんのかみながとし)の子として、佐賀唐津の里に生まれ修験道を修め、両部神道を信奉し、元和元年(1615)に長崎に来崎しました。そのころ長崎は幕府の禁教令がしかれたものの、キリスト教の信者により焼き払われた神社仏閣が殆どで、賢清は憤りを覚えましたが、惟神の道を惑える信者たちに説き諭しました。そして、元和9年(1623)諏訪・森崎・住吉の祭祀権を譲り受け、幕府に諏訪神社再興を請願し許可を受け、寛永2年(1625)西山郷円山(にしやまごうまるやま・現在の松の森神社)に諏訪・森崎・住吉三社を合祀再興しました。これ以降、青木家は11代宮司家として明治7年(1874)まで続きました。現在の宮司さんは26代目となる池田宮司で今日のお祭りを御奉仕いたしました。

私たち諏訪神社の神職は、初代宮司の神社再興を成し遂げた思いを共有し、次世代に伝える使命があります。今後も氏子の皆様と共にお諏訪さんをお守していきたいと思います。

次回は、11月1日 神宮大麻・暦頒布始祭をお届けします。神主М

神宮祭 (じんぐうさい)

神宮遙拝式での祝詞奏上
斎主の玉串拝礼

10月17日(土曜) 小雨後晴れ 午前9時30分 雨天につき神宮遙拝式を儀式殿にて行い、引く続き御本殿において神宮祭が行われました。このお祭りは、伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)に合わせ、神宮を遙拝し天照大御神のご加護に感謝するお祭りです。神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に三節祭(さんせつさい)と呼ばれ、神宮のお祭りの中でも最も由緒深いお祭りです。浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀(ゆきおおみけのぎ)が行われ、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸山の幸をお供えし、明くる正午には勅使(天皇陛下のお遣い)をお迎えして奉幣の儀(ほうべいのぎ)が行われます。このお祭りは、秋の実りに感謝し皇室の弥栄、国家の隆昌、五穀の豊穣、そして、国民の平安をお祈りいたします。

当神社では、この神嘗祭の意味するお祭りとして、11月23日に新穀感謝祭(新嘗祭・にいなめさい)を行います。県内の農家の皆様が、お米・みかん・野菜・鮮魚など多くのお供えを賜り行っています。

次回は、10月28日 青木墓前祭をお届けします。神主М

特別崇敬者清祓 (湯立神事)

参進する池田宮司以下神職
祭場をお祓いする神職
宮司の祝詞奏上
巫女による湯立舞
太刀でのお祓い
釜の熱湯を手で払う神職
湯鉾(ゆぼこ)による祓い
湯笹(ゆささ)での祓い
湯笹で釜の熱湯を掻き出す神職
参列者の玉串奉奠

10月8日(金曜) 晴れ 午後2時 神社中庭において、神社役員・特別崇敬者・湯立講社員約140名のご参列を賜り行われました。大勢様につきコロナ感染防止策として、神社拝殿ではなく、あえて中庭において行ったわけです。このお祭りは、崇敬者の皆様の無病息災と開運招福を願うもので、祓いの要素を多く取り入れ、諏訪神事の荒行の一つです。参列者は先ず、大麻(おおぬさ)・塩湯(えんとう)・米・切麻(きりぬさ)によって清められ、次に巫女の湯立舞・湯鉾(ゆぼこ)・湯笹と次から次へと祓いを受けて澄み切った心身に立ち返る神事です。

本年は世界中がコロナ禍に襲われ、日常の生活が不自由なものとなりました。中でも行動の自由を奪われたことが最大のストレスとなり、経済もどん底に落ちてしまいました。しかし、止まない雨はありません。明けない夜もありません。コロナ禍の一日も早い終息と、来年の長崎くんちを氏子皆が笑顔で迎え、厳かにそして麗しく行えますように皆で祈りましょう。

次回は、10月17日(土曜) 神宮祭をお届けします。神主М

例大祭 (れいたいさい)

斎館(さいかん)前に列立する池田宮司以下神職・巫女・役員
斎館諏訪荘前に列立する献幣使以下随員
斎庭(ゆにわ)に参進する宮司以下神職
参進する献幣使以下随員
祓いを受ける役員・総代
池田宮司の祝詞奏上
神社本庁幣の献幣(じんじゃほんちょうへいのけんぺい)
献幣使の祭詞奏上
責任役員の氏子総代祈願詞奏上
長崎市総代会の祈願詞奏上

 巫女による浦安の舞

宮司以下神職の拝礼
献幣使以下随員の拝礼
責任役員の玉串奉奠

10月8日(木曜) 晴れ 午前10時 例大祭には神社本庁幣(じんじゃほんちょうへい・神社本庁よりのお供え)の献幣使として、長崎県神社庁副庁長・上五島政彦神社宮司 吉村政徳様のご参向を賜り、神社役員・年番町の皆様のご参列のもと厳粛に行われました。例大祭は、諏訪神社の祭典の中で一番重要なお祭りとされ、天皇陛下の安寧と国家の安泰更に長崎の発展と氏子の幸福をお祈りいたしました。また、氏子の代表として責任役員 村木謍介様、長崎市氏子総代会の代表として護国神社役員の坂井俊之様より神様への感謝の言葉が奏上されました。

本来であれば、この例大祭は御旅所において行われますがコロナ禍の影響を受け、諏訪神社の拝殿において行われました。昭和63年天皇陛下の御不例(ご病気のため)以来のことです。長崎くんちの奉納踊りが中止となった事例はこの他にもあり、明治21年(1888)伝染病コレラの蔓延、大正12年(1923)関東大震災の影響を受け取り止めとなりました(他にもあり)しかしその都度、先人たちは一丸となり英知を重ね地域文化の核となる長崎くんちを継続して参りました。これからは、新しい生活様式の中で、先人たちが築き上げてきた長崎くんちの風流の精神を今の時代に沿った形で創造しなければなりません。そして中今を生きる私たちは、長崎くんちを始めとする諏訪神事の伝統を後世につなげるため、氏子の皆様と手に手を携えて行かなければなりません。皆様方のご理解とご協力を切にお願いいたします。

次回は、10月8日(金曜)  午後2時 特別崇敬者清祓(湯立神事)をお届けします。神主М