昭和祭

祭儀の始めの一拝
巫女による里神楽舞

4月29日(木曜) 雨 午前10時 御本殿において行われ、昭和天皇さまが御誕生されたこの日に、我が国にとって未曽有の大戦を経て、国の復興から発展に導かれた昭和天皇さまの御聖徳を称え、皇室の弥栄と国の発展、更に文化の振興と産業の増進をお祈り申し上げました。

さて今回の豆知識は、二年前に行われました「御代替わり」について解説いたします。平成31年4月30日をもって、天皇陛下が皇太子殿下に天皇の御位をお譲りになられ、5月1日新しい御代「令和」が始まりました。譲位による御代替わりは、文化14年(1817)に光格天皇が仁孝天皇に譲位されて以来、約200年ぶりのこととなります。天皇陛下の御即位には数多くの神道的な儀式があり、その代表的な儀式について触れてみます。先ず、平成最後の日となる4月30日、今上陛下がご退位、上皇陛下となられました。皇位は一日たりとも空白があってはならないことから、5月1日午前零時をもって、新天皇陛下の御即位と新元号「令和」が施行されました。皇位継承の儀式は「践祚・せんそ」の式とも呼ばれ、「剣璽等承継の儀・けんじとうしょうけいのぎ」では、三種の神器「八咫鏡 やたのかがみ 天叢雲剣 あめのむらくものつるぎ 八坂瓊曲玉 やさかにのまがたま」を始め、陛下の印である「御璽 ぎょじ」「国璽 こくじ」継承されます。次に、「皇霊殿 こうれいでん」への奉告の儀として、御位につかれた旨を天照大御神の鎮まります「賢所 かしこどころ」・歴代天皇と皇族の御霊がまつられる「皇霊殿」・天神地祇の神々がまつられる「神殿」に奉告されます。その後、「即位後朝見の儀」においては、総理大臣・三権の長・地方自治体の代表などを召され、皇位につかれたことを宣言されます。10月22日の「即位礼正殿の儀」においては、陛下は黄櫨染御袍の御束帯をお召しになり、高御座よりご自身の即位を全国民・諸外国に対し高らかに宣明いたしました。そして、御一代一度の重儀である「大嘗祭・だいじょうさい」が11月14日から15日にかけて行われました。毎年秋、天皇陛下には、その年の新穀を御祖先である天照大御神を始め、天神地祇の神々にお供えし、感謝を捧げる新嘗祭を宮中で行います。中でも陛下が即位後初めて行われる新嘗祭が大嘗祭というわけです。大嘗祭は、天皇御一代に一度行われる祭祀で、即位につかれるうえで不可欠なお祭りであり、数あるお祭りの中でも最高の重儀とされています。大嘗祭は、皇居内に特別に造営された「悠紀殿 ゆきでん」「主基殿 すきでん」を中心とした大嘗宮において行われます。大嘗宮は、古代の工法をもって簡素に造営されたもので、陛下はそこで古式に則り祭祀を自ら行います。また、大嘗祭は全国を代表した斎田からとれたお米がお供えされ、国を挙げてのお祭りでもあります。新しいお米を神々にお供えするお祭りは、古くは天照大御神がなさっていたことが、古事記・日本書紀に記されています。つまり、これは長い歴史を通じて変わることのない陛下のお勤めであり、陛下は、大嘗祭を通じて御祖先の天照大御神の御仕業を今の世に再現されているわけです。更に、国家・国民の安寧と幸福や五穀豊穣を神々に祈られておられます。神武天皇以来2680年126代の天皇陛下を戴き発展を遂げてきた日本国。私たち国民は、この御事績に思いを致し、未来永劫に天皇陛下を中心とした国家、国民であることを改めて念願したいと思います。神主М

春季東照宮祭

玉園山に鎮まります東照宮
儀式殿に設えられた祭場
祓いを受ける池田宮司

4月17日(土曜) 雨のち晴れ 午前10時 雨天につき儀式殿において行われ、徳川家康公を始め歴代将軍の御霊を慰め、長崎の繁栄と市民の幸せをお祈りしました。この日は、家康公の命日に当たります。家康公は、元和2年(1616) 4月17日に逝去され、75年の生涯でした。家康公は、晩年の遺言で、「臨終候はば御躰をば久能へ納、御葬禮をば増上寺にて申付、御位牌をば三川之大樹寺に立、一周忌も過候て以後、日光山に小き堂をたて、勧請し候へ」と記しました。家臣たちは、この遺言に従い、葬儀は5月17日に増上寺で行われ、浄土宗の戒名がつけられました。亡骸は駿府の久能山(現 久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経て御霊を日光の東照宮に勧請いたしました。これ以後東照宮は全国各地に祀られ、約130社を数えます。

次回は、4月29日 昭和祭をお届けします。神主М

春季湯立大祭

斎庭前に設えられた祭場
巫女の湯立舞
湯笹でのお祓い
宮司以下神職の拝礼
参列者の玉串拝礼

4月15日(木曜) 晴れ 午前10時 コロナ感染予防策として、境内斎庭前を祭場として、講社員100名のご参列のもと行われ、講社員の無病息災と開運招福を祈願いたしました。湯立講社の会員数は、現在250名を超え、有難い限りですが、昨年からコロナ禍の影響を受け、湯立祭への参拝制限や各種行事の中止など、ご迷惑をお掛け致しますが、もう一時の辛抱だと思いますのでお許しいただきたいと存じます。

さて今回の豆知識は、湯立神事では、多くの祓いを行い心身の罪穢れを祓い落とし、無病息災と開運招福を祈願します。その祓いの神具について解説いたします。先ず、大麻(おおぬさ)は、二尺ほどの串に八垂れの紙垂(しで)を取り付けたものです。次に塩湯(えんとう)は、三寸ほどの丸い器に海水(塩水)を入れたもので、榊の小枝を使い祓いを行います。また、他にも切麻(きりぬさ)といって、細かく切った奉書と麻緒を混ぜたものも祓いの神具として使われます。

左から切麻・塩湯・大麻

次回は、4月17日 東照宮春季大祭をお届けします。神主М

諏訪幼稚園入園奉告祭

お祓いを受ける入園児と保護者の皆様
入園児代表の玉串拝礼

4月12日(月曜) 曇り 午前11時 可愛らしい新入園児と保護者の皆様のご参列のもと拝殿において行われ、入園後の園児の健康と幸を祈願いたしました。新入園児の皆さん、ご入園おめでとうございます。これからは、神さまいらっしゃる諏訪幼稚園で、みんな仲良く元気に園での生活を送ってください。そして、春の行事として歓迎遠足や金比羅山への遠足もありますので楽しみにしていてください。

次回は、4月15日 春季湯立大祭をお届けします。神主М

森崎大祭寿詞(よごと)玉園稲荷神社大祭

寿詞 斎主の玉串奉奠

4月9日(金曜) 晴れ 午前10時 森崎大祭寿詞(よごと) 午前11時 玉園稲荷神社大祭が行われました。寿詞は、森崎大祭の後日にたくさんのお供え物を供し、神々に感謝の心を表すお祭りです。

稲荷神社崇敬者の皆様
崇敬者の玉串奉奠
奉納された稲荷社参道の赤鳥居
参道階段に奉納された祈願幟旗

玉園稲荷神社大祭には、鳥居を始め祈願幟旗を奉納された稲荷神社の崇敬者の方々にご参列いただき、神さまへの感謝と崇敬者の方々の家内安全と商売繁盛の祈願を行いました。稲荷の神さまは、衣食住の神、商売繁盛の神様として広く崇敬され、伏見の稲荷神社を始め、全国に約32.000社もお祀りされています。

次回は、4月12日 諏訪幼稚園入園奉告祭をお届けします。神主М

諏訪幼稚園卒園児小学校入学奉告祭

祝詞奏上時の卒園児と保護者の皆様
卒園児代表の玉串拝礼

4月8日(木曜) 晴れ 午後1時30分 真新しいランドセルを背負った諏訪幼稚園の卒園児と保護者の皆様のご参列のもと拝殿にて行われ、小学校への入学を神さまにご報告し、向後の無病息災と学業成就を祈願いたしました。卒園児の皆さん、小学校へのご入学おめでとうございます。これから学校生活が始まりますが、明るく素直で、挨拶のできる小学生でいてください。そして、勉強やスポーツにも目標を立てて頑張って下さい。お諏訪の神さまは、いつでも皆さんのことを見守っています。

次回は、明日4月9日 森崎大祭寿詞(よごと)・玉園稲荷神社大祭をお届けします。神主М

森崎大祭

桜の花で飾られた神饌米
斎主の祝詞奏上
浦安の扇舞
浦安の鈴舞

4月8日(木曜) 晴れ 午前10時 御本殿において行われました。このお祭りは、花祭りとも称され、神饌のお米には桜の花を添えて神々に供します。春になり草木が生き生きと新芽を伸ばし花を咲かせる自然の息吹に感謝して、向後の無病息災をお祈りするお祭りです。祝詞の中には、「全ての穢わしき病は、この県内に入れ給わず、人ごとに幸あらしめ、利益(くぼさ)あらしめ」とあり、のコロナ禍の鎮静を願う内容となっています。

さて、今回の豆知識は巫女が神さまに奉納する舞について解説いたします。当神社の巫女が舞う舞は四種あり、祈願時や小祭には「里神楽の舞」湯立神事に舞う「湯立舞」敬神婦人会の月次祭に舞う「豊栄の舞」そして、本日奉納した「浦安の舞」があります。この浦安の舞は、長崎くんちの例大祭を始め、大祭式・中祭式のお祭り時に奉納されます。この舞いは,昭和8年に昭和天皇さまが詠まれた御製「天地の神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を」もとに、昭和15年皇紀2.600年を奉祝し当時の宮内省により製作されました。「浦安」とは、心安らかという意味で、我が国が浦安の国(平和な国)であることを象徴し、世界平和を祈る舞です。

次回は、本日午後の諏訪幼稚園卒園児小学校入学奉告祭をお届けします。神主М

森崎大祭事始神事

斎主の玉串奉奠

4月7日(水曜) 晴れ 午前10時 御本殿において行われました。森祭大祭は、7日から9日まで三日間執り行われ、今日の事始では、お祭りの始まりを神さまにご奉告し、奉仕者と氏子崇敬者の安全を祈願いたしました。

さて、今回の豆知識は、森崎神社について説明いたします。森崎神社の歴史は古く、元禄年間(1688~1704)に編纂された「長崎根元記」(ながさきこんげんき)には、「長崎、永禄の頃迄は、諏訪明神山より南に続き海中洲崎有り、深樹打続き、今の西屋敷に森崎権現の小社有り」このように、永禄の頃までは長崎奉行所西屋敷(旧県庁跡地付近)に森崎神社がまつられていたと記されています。永禄の後が元亀となるので、元亀2年に創建された「岬の教会」よりも先に森崎神社は創建されていたと考えられ、長崎の氏神様的神社でした。

次回は、明日4月8日 森崎大祭をお届けします。神主М

池坊献華式 いけのぼうけんげしき

桜花の献華
池坊長崎三支部長の玉串拝礼
神前に供された、御榊・御菓子・桜花
奉仕者・参列者の皆様 誠にありがとうございました

4月4日(日曜) 小雨 午前10時30分 森崎大祭の予祝祭事として、池坊献華式が華道家元池坊長崎支部・池坊中央支部・長崎正風会のご奉仕のもと行われ、華道の発展と池坊長崎三支部会員の技量の上達を祈願いたしました。昨年は、コロナ禍の影響を受け中止となりましたが、本年は感染予防策を取り、時間を短縮してのご奉仕を賜り、三支部の皆さま誠にありがとうございました。さて献華式は、昭和63年に始められ今年で33回目となります。三年前には池坊お家元のご奉仕を賜り第30回の記念献華式も行われました。

森崎の神さまは、伊邪那岐・伊邪那美という夫婦神で、万物創成の神々であり、縁結びのかみさまでもあります。森崎祭は4月7日から9日わたり、春祭りとして行われ、桜の満開を始め、春の自然の息吹に感謝して、氏子崇敬者の安泰と幸せをお祈りいたします。

次回は、4月7日 森崎祭事始神事をお届けします。神主М

神武天皇遙拝式

祭詞を奏上する神職
玉串奉奠

4月3日(土曜) 曇り 午前10時 神武天皇遙拝式を斎庭において行いました。この日は初代天皇である神武天皇が崩御されたと伝わる日で、奈良県は橿原の畝傍山(うねびやま)東北御陵を遙拝し、建国創業の御神徳を御偲び申し上げるお祭りです。次回は、明日4月4日(日曜) 森崎祭池坊献華式をお届けします。神主М